ゲームは人生を変えることがある

 鈴木銀一郎さんが亡くなりました。
 「モンスターメーカー」シリーズの生みの親というのがいちばん通じやすいでしょうか。
 プロのゲームデザイナーであること、デベロップのセンス、多彩なキャリアや暖かで観察力に優れたその人柄、なにより本気でゲーマーであること……といったことを語るには僕よりはるかにふさわしい方が何人もおられるので、ここではくどくど述べますまい。

 僕がはじめて遊んだウォーゲーム(ボードシミュレーションゲーム)はエポック社の「砂漠の狐」です。小学校5年生の誕生日プレゼントでした。兄からこれを買ってもらえと勧められたのです。
 それまでもモノポリーなどボードゲームをよく遊んでいましたが、これはそれらとは違うなにかすごいものだ、と興奮したことを覚えています。高級感というか背伸び感というか。ゲームの箱に入っていたチラシに「小学5、6年生ならできる!」といったことが書かれていたのも嬉しかったですね。子供向けという意味ではないのです。

 「砂漠の狐」は第二次大戦の北アフリカでの戦いを扱ったゲームで、シンプルながら実に面白い。兄は中学生でしたから思考能力の差は歴然たるもので、連戦連敗でしたが。
 この出会いで僕はウォーゲームをちょこちょこ遊ぶようになり、雑誌を読み、TRPGを知り、ゲーマーになり、漫画にウォーゲームやTRPGのエッセンスを無意識に放り込むようになり、あまつさえゲームの仕事も頂いて今に至るわけで、文字通り人生を変えたゲームなのです。ここまで引っ張った僕に対し、兄はその後あっさりゲームに興味をなくしましたが、まあそんなものです。
 この「砂漠の狐」のデザイナーが鈴木銀一郎さんだったのですね。ここまで書いて違ったらえらいことだ。人生変えて頂きましたよ。


 とはいえ書いておかねば誠意に欠けることもありまして……。
 鈴木銀一郎さんの晩年、世界に対する視線や解釈がどうも雑に過ぎると感じることが多々ありました。解釈は人それぞれで致し方ないとはいえ、おそらく情報の仕入先がひどい。人や国際情勢を扱うゲームデザイナーにして、相当に危ういことなのではないか。銀一郎先生にしてそのようなことがあるのか、自分もそうなりやしないか、じゅうじゅうに我が事を用心せねばと心に留め置きました。
 追悼の日記に書くことではないかもしれませんが、人は完璧ではありませんし、それで功績が損なわれることもないでしょう。

 自伝的な名エッセイ『ゲーム的人生論』の表紙を描かせて頂いたことはこのうえない栄誉です。えッ品切れ、勿体ない。
 酒席をご一緒させていただいたときには、その細やかなお気遣いに感銘を受けました。
 お疲れ様でした。本当にありがとうございました。

www.shinkigensha.co.jp

正統派でジェレミー・ブレットに太刀打ちするのは難しい

 今日はシャーロック・ホームズの誕生日なんだそうですよ。
 そんなわけで、僕がホームズの漫画描くとしたらこんな感じかしらというラクガキ。
 作中でメガネをかけていないとは書いていない(筈)という「裏世界ピクニック」理論(主人公の空魚はメガネをかけている描写は無いのですが、メガネつきのキャラデザインになってすっかり板についてしまっているのです)と、あとロシア版ホームズが好きなので。
 実のところ、ワトソンの方がデザインに悩みそうです。ホームズもの、一度は描きたいな。

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謹賀新年

 あけましておめでとうございます。本年もご贔屓によろしくお願いいたします。
 実家とはZOOMで新年の挨拶をしました。文明!

 年賀絵はインダス文明の土器に描かれた絵がモチーフでして、愛知県陶磁美術館の展示で心を鷲掴みにされました。点数自体は多くないのだけど、多くないのにどれも素晴らしい。素晴らしいといえば愛知県陶磁美術館自体も立派な施設でした。ちょっと前に「YAYOI・モダンデザイン ―ニッポンの美、ここに始まる」目当てで行ったのですが、企画展のみならず常設展が圧巻。さすが愛知。あんな充実した美術館を今まで知らなかったとは! とはいえ、ミュージアムショップは最近無くなったらしいしレストランもなんだかうら寂しかったし、厳しいのですかねえ。

www.pref.aichi.jp



 1月3日、TOKYO MX1で「プリンセス・プリンシパルTVシリーズが全話一挙放送されます。12:00~18:00です。劇場版の第一章がいよいよ2月ですもんね! スチームパンク・スパイ女学生アクションアニメ、未見という方は面白いのでこの機会に是非是非よろしく。


 アニメといえば「裏世界ピクニック」も4日がいよいよ第1話です。僕が関わっているわけではないですが、原作が友人の宮澤伊織さんだし面白いし、観てね観てね。

www.othersidepicnic.com

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このままで済むと思うなよ

 うわーもう年の瀬だーと言っておりましたら大晦日です。おそろしいですね。
 例年わりと勤勉に帰省しておりまして、ちゃんと一家そろっていたのですがこのご時世でこの年末年始は東京におります。じんわりとしょんぼりします。仕事は納まっていません。大変だ。年明けても『ミセス・ノイズィ』やってるかしらん。NHKドラマの岸辺露伴はたいそう良かったですね! 『スパイの妻』といい、今年は最高の高橋一生が続けて観れて満足です。
 あまり振り返ろうという気がしない2020年なのは、流行り病が一段落するどころかますます猖獗を極める状況だからでしょう。野次馬根性むき出しで云うならば、当分覚えている年になるとは思います。

 ここんとこずっと年2冊ペースで単行本出せていたのに、今年はいろいろあって出せずじまい。あーあー。干されたとかそういうわけではありませんのでご安心ください。仕事自体はありがたいことにたくさん頂いております。単行本も来年は挽回できるはず。

 掲載からちょっと経ちましたが「楽園」のweb増刊で読み切りショート「墓が戦車でやってくる」を描きました。見てね見てね。典型的ワンアイデア漫画だけど面白いですよ。

hakusensha.tameshiyo.me



 第二次大戦の独ソ戦に従軍した、かつてのソ連軍女性兵士たちのインタビュー集、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』の小梅けいとさんによるコミック版2巻が出ています。僕もちょっとお手伝いしています。
 2巻は女性兵士がどう思われていたか、また自らの体験を語ること、訊くことについて踏み込んでいきます。1巻に引き続き、よろしくお願いいたします。

www.kadokawa.co.jp



 それでは、本年も本当にお世話になりました。皆様どうぞ良いお年をお迎えください。良い年にしますよ。しますともさ。

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観るものを試す映画でした

 ということで、もうちょっと間を置くつもりだったのですが観てきましたよセルゲイ・ロズニツァ監督の『国葬』。圧倒されました。

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 1953年3月、スターリンの葬儀とソ連全土で行われた追悼集会の記録映像を編集したもの。この記録自体の存在は知っていたので、いつか観たいものだと思っていました。
 『粛清裁判』は進行していく裁判というわかりやすいストーリーがあるのですが、『国葬』はそのときの情景をひたすらに追っていくのみ。より「これは何だろう」と観客の側から能動的に食いついていく、解釈することが求められます。

 とにかく人、人、人。
 市井の人であろうが要人だろうが、いま写っているのが誰なのか一切説明はありません。安置されたスターリンの遺体に別れを告げようと、葬儀会場は長蛇の列です。さながら万博の大人気パビリオンのごとく、国家指導者級でなければ遺体の前で立ち止まることはできません(金の肩章をきらめかせた将軍たちもひと山ナンボです)。
 老若男女、社会的地位の高そうな人物から粗末な身なりの農民まで。みなこの場にふさわしく、粛然とした表情。泣いている者も多い。演技ではなさそうです。とはいえスターリンを敬愛する涙か、時代の区切りから自分の人生を思って泣くのか、それをうかがい知ることはできません。人はさまざまな事情で泣きます。
 延々と続く参列者の中で、十字を切る老婆が一人だけいました。オペラグラスを持ち込んだおっさんもいる。あれは確実に物見遊山気分だろう。やッ、くわえタバコがいるぞ、不敬だ! 肩をふるわせる赤軍の英雄ロコソフスキー(当時はポーランド防相でしたが、赤軍の制服で参列したかったのでは)。ロシア正教会の高位聖職者たちもしおらしく登場します、しかし十字は切らないのね。
 ソ連は広いです。ウクライナ西部のリヴォフから中央アジア、極東に至る都市や工場や農場で黒山の人だかりで追悼集会が開かれます。リトアニアの場面に映る人は、何を考えているのだろう?

 荘重に荘厳にと演出を心掛けているのでしょうけど、超大国の指導者、神格化された親玉の葬儀にしては奇妙な活気や不協和さが感じられます。
 赤の広場の軍事パレードのように、リハーサルをくり返すことができず一発勝負のイベントということはあるでしょう。レーニンが死んだのは30年前のことであり、当時の式次第は役に立ちますまい。
 表情はどれだけ悲痛でも、どやどやと長蛇の列をなして人が押し寄せると場はにぎやかになります。このソ連は確実にプロレタリアの国だ。画面の隅に映る警備兵が雑談の合間で何やら笑っています。葬儀をスケッチする画家たちの顔は職業的熱心さに満ちていてあまり悲しげではない。追悼集会で熱を込めて演説する工場幹部の向こうでは、街を普通に行き交うトラックや路面電車。棺を持ち上げる党幹部たちの、統制に欠けたどっこいしょ感。棺を砲車に移すときは警備兵たちが「そっちをこうしてあっちをこうして」と身振り手振りを加え忙しげ。しかし、このときのベリヤはマフィアのボスみたいな服装で、小粋にマフラーを巻いたりしてあまりフォーマルな感じがしません。
 それにしてもモスクワの葬儀を筆頭に全土で行われた追悼集会、イベントを進行させる現場責任者やスタッフはさぞ大変だったでしょうし、面白い仕事だったのではないかしら。
そういえ冒頭、スターリンの棺が葬儀会場へ運び込まれる場面は実に事務的でした。そこをちゃんと撮影しているのも面白い。

 葬儀のクライマックス、棺がレーニンスターリン廟に収められた瞬間弔砲がとどろき、駅や港や工場では汽笛が、サイレンが鳴り響きます。バスは止まり僻地のトラックも路肩に寄り労働者たちは作業の手を止め脱帽し黙祷します。ソ連のすべてが祈りを捧げているようで、この場面には荘厳さがありました。もちろん、それを撮影する人はいたわけですし演出です。水力発電所の建設現場、クレーンに吊るされるスターリンの肖像と赤旗のディスプレイを思いついた人、会心の見せ方だったでしょうけど、そのセンスはどうかと思うで。

 カメラがとらえていないものは多いです。無数にあった強制収容所ではどうだったのか、葬儀や集会を支える裏方たちは何をしていたのか、モスクワの葬儀会場付近では参列者が将棋倒しとなり多くの犠牲者が出ているのですが、その気配もありません。レーニンスターリン廟のなかが映されないのは、別格の聖地であることをうかがわせます。
 だからといってスクリーンに映るものが演出だ、虚構だというのもまた違いましょう。むしろ虚構を超えてしまった、巨大でモゾモゾしたものが横たわっているようでした。

 上映中にもう一度は観に行きたい。スクリーンで観るべきドキュメンタリーです。

 パンフレットは必ず買いましょう。特にソ連社会主義諸国の指導者の顔なんてよく知らないという、真っ当なあなた。

ところでレーニン廟ってけったいな建築で、ピラミッドを意識したなどと伝えられますが、聖なる墓所の上を指導者のひな壇にしようと思いついた人はなかなかたいした発想の持ち主です。いやがうえにもわかりやすい象徴性ではあるものの、聖地の上に靴底を並べるのは不敬だと誰も思わなかったのかしら。

ある映画について。Twitterでは足りないので

 既に各所ではお知らせしています通り、『大砲とスタンプ』9巻の発売日が来年の2021年1月に延期となっております。お待たせして大変申し訳ありません。もうちょっとだけお待ちください。そのかわりといってはなんですが、分厚いですよ!

 結論を出すにはまだひと月ありますが、2020年の映画暫定ベスト3は『異端の鳥』『エクストリーム・ジョブ』『スウィング・キッズ』あたりかなー。『ウルフウォーカー』『はりぼて』『悪人伝』がそれに続く感じです。韓国映画強いですね。
 と思っていたら、案の定というかこれはと楽しみにしていた作品にガツンとやられました。ドキュメンタリーだから扱いは別にするべきかもしれませんが……はい、セルゲイ・ロズニツァ監督の「群衆」三部作から『粛清裁判』です。

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 『粛清裁判』は1930年のソ連で行われた「産業党裁判」を記録した映画を再構成したもの。ソ連産業・経済界の中心にいた技術者や研究者がフランスに通じ、サボタージュや政府転覆を企てたとされる事件で、まったくのでっち上げであることがわかっています。この事件を扱う最高裁判の様子が淡々と写されるのですが、そこでは異様な光景が続きます。

 公開で行われる裁判はまさにひとつの芝居であり、実際に審理は傍聴者の前……それもステージ上で進められます。しかし、この見世物の演出はいわゆる人民裁判的なものからはかなり遠い。

 まず被告たち、まったく無実の罪でこの場にいる彼らは、淡々と無表情に、しかしはっきりした声で自分たちの罪を認め荒唐無稽な陰謀を語ります。思わず北朝鮮張成沢のように、暴行されたあとがないかスクリーンに目を凝らしますが少なくとも見える範囲ではそのような形跡は見当たりません。

 会場を埋め尽くす傍聴者は興味しんしんといったていで聴き入っています。見せしめを前にした迎合やシニシズムの気配はない。それにしても「群衆」の名の通り、なんと多様な人々であることか。どんな理由で、なにを考えてこの場に足を運んでいるのだろう?

 裁判長はかの悪名高いヴィシンスキー。冷静かつ活力にあふれた判事という趣きで、てきぱきと審理を進めます。被告に対してもあくまで法に則って丁寧に接している……ように見えます。

 そう、なにもかもが落ち着き払っているのです。見せしめの熱狂はどこにもありません。傍聴者は居眠りもせず、ただ時おり私語やひそやかな笑みをもらす者がおり、この裁判に貴重な生気を与えます。いや、例外がありました。裁判を警備するOGPU(当時の治安機関です)たちは厳粛な場にふさわしくなく、なにやらだべり、笑い、タバコをふかす。この場のからくりを知っている支配者の態度というふうでもない。不思議です。

 盛り上がりに欠ける裁判が急に表情を変えるのは検察側の最終論告。検事クルィレンコは怒号し大仰な身振りで被告たちを非難し社会主義の防衛を叫び(この裁判は革命からわずか13年後のことなのです)、全員に銃殺を求刑します。ここは我々が想像する、まさに見世物。いよッ千両役者!

 続いて被告の最終弁論。すべてが何度も推敲を重ねた脚本にそっていた裁判に、わずかなアドリブが加わります。罪を悔い、法廷に従うことを誓い、自分と同じような者が出ないよう警告し、そして助命されるなら残りの人生すべてをソ連に奉仕する……。

 まったくの虚構で訴えられ、奇天烈な陰謀を語るよう強制され、しかも銃殺を求刑されたならばどんな手練手管を使えば助かるのか? この裁判で唯一本当なのが、被告たちの助かりたいという心情でしょう。ここには脚本をわずかに逸脱した、仮面ではない表情があったように思います。

 どのような判決がくだされたかは、この映画を観るなり産業党裁判について調べるなりしてください。1937年の大テロルよりはよほどにやさしいと感じたのは、比較対象が酷すぎますね。
 ところでスターリンの斧は万人平等に降りかかったものでして、もっとも熱烈で無慈悲なボリシェヴィキを演じた検事クルィレンコも後年処刑されています。諸行無常

 とにかく顔、顔、顔が印象的な映画でした。顔といえばエイゼンシュテインですが、こちらには彼の大胆さが無いかわり、登場人物たちのわずかな表情に集中させるおそるべき記録映画でした。
 あ、1930年の服装やOGPUの制服にも目が行きましたよ。これだから!

 『国葬』も近々観ます。いやがうえにも楽しみです。

 この絵は先日参加したコミティアのポップ用に描いた謎のメイド娘さん。ゲーム中盤に登場するそこそこ強い敵みたいなイメージです。
 こんな感じの絵、ひさしぶりに描いた気がします。いかんなあ。

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お知らせですよ

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 はい『大砲とスタンプ』がついに最終回です。今日発売のモーニング・ツーに載っています。大団円ですよーよろしくよろしく!


 単行本作業に入りつつあるので、まだまだ終わったという感慨はないのですけども。そもそも、これで暇ができるかなと思っていたら全然そんなことないよ! 困るよ! 極度に横着な自業自得なのです、わかってますハイ……。
 単行本、最終巻となる9巻は11月発売予定です。がんばれー。

 ベルンハルト・ケラーマン『トンネル』(国書刊行会)のカバー絵を描かせてもらいました。1911年に書かれた、大西洋に鉄道トンネルを掘る巨大プロジェクトを舞台にした土木工事SFです。工事そのものの描写もさることながら、資金調達のゴタゴタや世界中から集った労働者たちの人間模様が魅力的です。
 しかし国書刊行会さんの本で表紙とは。昔の自分に自慢したい!

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 そして表紙絵を使ったクリアファイルプレゼント企画をやっています。応募は10月いっぱいとなっております。僕の絵でクリアファイルって、ひょっとしたら初めてなのでは。前にもやったかしら。ともあれこちらもよろしくよろしくです。

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