ある映画について。Twitterでは足りないので

 既に各所ではお知らせしています通り、『大砲とスタンプ』9巻の発売日が来年の2021年1月に延期となっております。お待たせして大変申し訳ありません。もうちょっとだけお待ちください。そのかわりといってはなんですが、分厚いですよ!

 結論を出すにはまだひと月ありますが、2020年の映画暫定ベスト3は『異端の鳥』『エクストリーム・ジョブ』『スウィング・キッズ』あたりかなー。『ウルフウォーカー』『はりぼて』『悪人伝』がそれに続く感じです。韓国映画強いですね。
 と思っていたら、案の定というかこれはと楽しみにしていた作品にガツンとやられました。ドキュメンタリーだから扱いは別にするべきかもしれませんが……はい、セルゲイ・ロズニツァ監督の「群衆」三部作から『粛清裁判』です。

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 『粛清裁判』は1930年のソ連で行われた「産業党裁判」を記録した映画を再構成したもの。ソ連産業・経済界の中心にいた技術者や研究者がフランスに通じ、サボタージュや政府転覆を企てたとされる事件で、まったくのでっち上げであることがわかっています。この事件を扱う最高裁判の様子が淡々と写されるのですが、そこでは異様な光景が続きます。

 公開で行われる裁判はまさにひとつの芝居であり、実際に審理は傍聴者の前……それもステージ上で進められます。しかし、この見世物の演出はいわゆる人民裁判的なものからはかなり遠い。

 まず被告たち、まったく無実の罪でこの場にいる彼らは、淡々と無表情に、しかしはっきりした声で自分たちの罪を認め荒唐無稽な陰謀を語ります。思わず北朝鮮張成沢のように、暴行されたあとがないかスクリーンに目を凝らしますが少なくとも見える範囲ではそのような形跡は見当たりません。

 会場を埋め尽くす傍聴者は興味しんしんといったていで聴き入っています。見せしめを前にした迎合やシニシズムの気配はない。それにしても「群衆」の名の通り、なんと多様な人々であることか。どんな理由で、なにを考えてこの場に足を運んでいるのだろう?

 裁判長はかの悪名高いヴィシンスキー。冷静かつ活力にあふれた判事という趣きで、てきぱきと審理を進めます。被告に対してもあくまで法に則って丁寧に接している……ように見えます。

 そう、なにもかもが落ち着き払っているのです。見せしめの熱狂はどこにもありません。傍聴者は居眠りもせず、ただ時おり私語やひそやかな笑みをもらす者がおり、この裁判に貴重な生気を与えます。いや、例外がありました。裁判を警備するOGPU(当時の治安機関です)たちは厳粛な場にふさわしくなく、なにやらだべり、笑い、タバコをふかす。この場のからくりを知っている支配者の態度というふうでもない。不思議です。

 盛り上がりに欠ける裁判が急に表情を変えるのは検察側の最終論告。検事クルィレンコは怒号し大仰な身振りで被告たちを非難し社会主義の防衛を叫び(この裁判は革命からわずか13年後のことなのです)、全員に銃殺を求刑します。ここは我々が想像する、まさに見世物。いよッ千両役者!

 続いて被告の最終弁論。すべてが何度も推敲を重ねた脚本にそっていた裁判に、わずかなアドリブが加わります。罪を悔い、法廷に従うことを誓い、自分と同じような者が出ないよう警告し、そして助命されるなら残りの人生すべてをソ連に奉仕する……。

 まったくの虚構で訴えられ、奇天烈な陰謀を語るよう強制され、しかも銃殺を求刑されたならばどんな手練手管を使えば助かるのか? この裁判で唯一本当なのが、被告たちの助かりたいという心情でしょう。ここには脚本をわずかに逸脱した、仮面ではない表情があったように思います。

 どのような判決がくだされたかは、この映画を観るなり産業党裁判について調べるなりしてください。1937年の大テロルよりはよほどにやさしいと感じたのは、比較対象が酷すぎますね。
 ところでスターリンの斧は万人平等に降りかかったものでして、もっとも熱烈で無慈悲なボリシェヴィキを演じた検事クルィレンコも後年処刑されています。諸行無常

 とにかく顔、顔、顔が印象的な映画でした。顔といえばエイゼンシュテインですが、こちらには彼の大胆さが無いかわり、登場人物たちのわずかな表情に集中させるおそるべき記録映画でした。
 あ、1930年の服装やOGPUの制服にも目が行きましたよ。これだから!

 『国葬』も近々観ます。いやがうえにも楽しみです。

 この絵は先日参加したコミティアのポップ用に描いた謎のメイド娘さん。ゲーム中盤に登場するそこそこ強い敵みたいなイメージです。
 こんな感じの絵、ひさしぶりに描いた気がします。いかんなあ。

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