観るものを試す映画でした

 ということで、もうちょっと間を置くつもりだったのですが観てきましたよセルゲイ・ロズニツァ監督の『国葬』。圧倒されました。

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 1953年3月、スターリンの葬儀とソ連全土で行われた追悼集会の記録映像を編集したもの。この記録自体の存在は知っていたので、いつか観たいものだと思っていました。
 『粛清裁判』は進行していく裁判というわかりやすいストーリーがあるのですが、『国葬』はそのときの情景をひたすらに追っていくのみ。より「これは何だろう」と観客の側から能動的に食いついていく、解釈することが求められます。

 とにかく人、人、人。
 市井の人であろうが要人だろうが、いま写っているのが誰なのか一切説明はありません。安置されたスターリンの遺体に別れを告げようと、葬儀会場は長蛇の列です。さながら万博の大人気パビリオンのごとく、国家指導者級でなければ遺体の前で立ち止まることはできません(金の肩章をきらめかせた将軍たちもひと山ナンボです)。
 老若男女、社会的地位の高そうな人物から粗末な身なりの農民まで。みなこの場にふさわしく、粛然とした表情。泣いている者も多い。演技ではなさそうです。とはいえスターリンを敬愛する涙か、時代の区切りから自分の人生を思って泣くのか、それをうかがい知ることはできません。人はさまざまな事情で泣きます。
 延々と続く参列者の中で、十字を切る老婆が一人だけいました。オペラグラスを持ち込んだおっさんもいる。あれは確実に物見遊山気分だろう。やッ、くわえタバコがいるぞ、不敬だ! 肩をふるわせる赤軍の英雄ロコソフスキー(当時はポーランド防相でしたが、赤軍の制服で参列したかったのでは)。ロシア正教会の高位聖職者たちもしおらしく登場します、しかし十字は切らないのね。
 ソ連は広いです。ウクライナ西部のリヴォフから中央アジア、極東に至る都市や工場や農場で黒山の人だかりで追悼集会が開かれます。リトアニアの場面に映る人は、何を考えているのだろう?

 荘重に荘厳にと演出を心掛けているのでしょうけど、超大国の指導者、神格化された親玉の葬儀にしては奇妙な活気や不協和さが感じられます。
 赤の広場の軍事パレードのように、リハーサルをくり返すことができず一発勝負のイベントということはあるでしょう。レーニンが死んだのは30年前のことであり、当時の式次第は役に立ちますまい。
 表情はどれだけ悲痛でも、どやどやと長蛇の列をなして人が押し寄せると場はにぎやかになります。このソ連は確実にプロレタリアの国だ。画面の隅に映る警備兵が雑談の合間で何やら笑っています。葬儀をスケッチする画家たちの顔は職業的熱心さに満ちていてあまり悲しげではない。追悼集会で熱を込めて演説する工場幹部の向こうでは、街を普通に行き交うトラックや路面電車。棺を持ち上げる党幹部たちの、統制に欠けたどっこいしょ感。棺を砲車に移すときは警備兵たちが「そっちをこうしてあっちをこうして」と身振り手振りを加え忙しげ。しかし、このときのベリヤはマフィアのボスみたいな服装で、小粋にマフラーを巻いたりしてあまりフォーマルな感じがしません。
 それにしてもモスクワの葬儀を筆頭に全土で行われた追悼集会、イベントを進行させる現場責任者やスタッフはさぞ大変だったでしょうし、面白い仕事だったのではないかしら。
そういえ冒頭、スターリンの棺が葬儀会場へ運び込まれる場面は実に事務的でした。そこをちゃんと撮影しているのも面白い。

 葬儀のクライマックス、棺がレーニンスターリン廟に収められた瞬間弔砲がとどろき、駅や港や工場では汽笛が、サイレンが鳴り響きます。バスは止まり僻地のトラックも路肩に寄り労働者たちは作業の手を止め脱帽し黙祷します。ソ連のすべてが祈りを捧げているようで、この場面には荘厳さがありました。もちろん、それを撮影する人はいたわけですし演出です。水力発電所の建設現場、クレーンに吊るされるスターリンの肖像と赤旗のディスプレイを思いついた人、会心の見せ方だったでしょうけど、そのセンスはどうかと思うで。

 カメラがとらえていないものは多いです。無数にあった強制収容所ではどうだったのか、葬儀や集会を支える裏方たちは何をしていたのか、モスクワの葬儀会場付近では参列者が将棋倒しとなり多くの犠牲者が出ているのですが、その気配もありません。レーニンスターリン廟のなかが映されないのは、別格の聖地であることをうかがわせます。
 だからといってスクリーンに映るものが演出だ、虚構だというのもまた違いましょう。むしろ虚構を超えてしまった、巨大でモゾモゾしたものが横たわっているようでした。

 上映中にもう一度は観に行きたい。スクリーンで観るべきドキュメンタリーです。

 パンフレットは必ず買いましょう。特にソ連社会主義諸国の指導者の顔なんてよく知らないという、真っ当なあなた。

ところでレーニン廟ってけったいな建築で、ピラミッドを意識したなどと伝えられますが、聖なる墓所の上を指導者のひな壇にしようと思いついた人はなかなかたいした発想の持ち主です。いやがうえにもわかりやすい象徴性ではあるものの、聖地の上に靴底を並べるのは不敬だと誰も思わなかったのかしら。